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俊哉送別試合から8年

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このブログはもともとサッカーネタを中心としたものだったが、ひいきのジュビロ磐田の低迷とともにサッカーネタの頻度は激減してしまい、アホネタ専門になってしまった・・・

 

 そんな小生が生で初めて観戦したのは1999年の5月5日の国立競技場での鹿島戦だった。その時はアジアクラブ選手権での決勝を終えてとんぼ返りの状況とは知らなかった。

 開始早々、鹿島のプレスが効き、前半にこの試合がJリーグ初出場の小笠原の得点で折り返す。後半も決め手を欠く中、39分に名波のフリーキックで追いつくと、延長戦に突入。

 

 延長後半に、左サイドを駆け上がった服部のクロスを中山がポストプレーで落としたところに飛び込んだのが藤田俊哉だった。

 以来、藤田俊哉の熱狂的なファンになってしまった。藤田俊哉選手といってもジュビロになじみのない方にはイメージがないかも知れない。

 

 だが、藤田俊哉選手はJリーグで初の400試合出場を達成した選手だし、MFとして初、FWも含めて4番目に通算100ゴールを達成した選手。

 さらに中学・高校・大学・プロと全国優勝を経験した上に、1999年にはアジアクラブ選手権の優勝メンバー(しかも得点者)にもなっている。

 

 もちろん日本代表にも選ばれ、10番を背負ったこともある。Jリーグのベストイレブンに3度、MVPにも1度選ばれている。

 そんな選手だが、高校時代からコンビを組んでいた名波浩選手が脚光を浴びる中、ともすればマイナーな扱いになっていた。右ききの藤田、左ききの名波、ショートパスの藤田、ロングパスの名波、この二人のコンビは最高のハーモニーを見せてくれていたのだが・・・

 

 またJリーグの選手会の会長も長く務めるなど、人望も厚く成績・人格ともに申し分ないのだが、およそイメージが薄いのでは・・・と。

 そんな藤田選手の引退記念試合から8年経つ。今更ながら、その試合に駆け付けた選手たちのすごいこと・・・

 

 今日本代表の中心選手になっている吉田選手はこの試合の当日、名古屋で自らの結婚式だったにも関わらず、東京の試合に駆けつけていた。

 今の藤田俊哉氏は欧州で活躍しているというが、いずれはジュビロの監督として、戻ってきてほしいものである。

 

 小生の大切なお宝に、藤田選手のサイン入りスパイクがある。今はなきジュビロ磐田ネットの会員サイトの懸賞で当選したものだ。

 手も足も小さい小生だが、その小生よりもさらに小さいスパイクを履いていたことに驚いたことを覚えている。

 

 どうも、小生は本来もっと評価されるべき人物なのに光が当たらなかった・・・という人にシンパシーを覚えるのだが、彼もまたその一人だろう。

 シャドウストライカーとして超一流であり、またトップ下のボールの裁きも超一流だったが、名波・中田・小野たちの陰に隠れてしまったのは不幸としか・・・

 

 って、どさくさまぎれに違う写真がはいりこんでないか(苦笑)

 あっ、水色で間違えてしまったかも・・・(爆)


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